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ある企業家の話

大学3回生の夏、大阪の会社にインターンシップに行ったことがある。

 

今から20年近く前なので、インターン自体がまだ知られていない時代のことだ。

たまたま、本屋でリクルートの雑誌を見ていたら、急成長している大阪のベンチャー企業が学生インターンを2名募集しているという記事があった。


その会社の事業内容に興味があったのと、インターンってどんなものだろうという物珍しさで、原稿用紙2~3枚に志望動機を書いて送った。まさか採用されるとは思わなかったが、採用通知が来た。

 

その会社は、ゲームセンターで使われているゲーム機の中古を仕入れて、日本と海外に販売して、急成長していた。インターネットオークションのシステムを独自に作って、中古ゲーム機を日本や海外にも販売していた。1996年頃の話なので、社長の先見性は、かなり際立っていたと思う。

 

インターン生は私と関東から来た同じ三回生の学生の二人だった。彼とは今でも交流があり、東京に行くときは、たまに酒を酌み交わす。


インターンの間はいろんな業務を経験させてもらった。倉庫で中古ゲーム機のクリーニングや発送準備、社長のかばん持ち、営業のサポート、本社でパソコンを使った資料作り、経理の仕事のお手伝いなどであるが、何よりも急成長しているベンチャー企業の息吹を肌で感じることができた。社長はすごくエネルギッシュな方で、一日中走り回っていらっしゃった。そして、会社に対する私たちの感想や意見にも耳を傾けて下さった。総務部長が私たちを親身になってサポートしてくださり、最後の日にはしゃぶしゃぶを食べに連れて行って下さった。急成長しているので、現場はものすごく忙しそうだったが、ものすごいエネルギーを感じた。

私の人生の中でも本当に貴重な学びの2週間だったと思う。

 

就職活動の時も、社長から「うちに来ないか?」と自筆のお手紙を頂いていたが、結局、野村證券に行くことにした。就職が決まって、社長と総務部長にその報告で伺ったところ、我が子のことのように喜んで下さった。帰り際、社長に「野村證券で鍛えられてからでいいから、何年かしたらうちに来い。」と声をかけて頂いた。本当に熱い社長である。


野村證券に入社して3年程経ったころだと思う。

たまたま、新聞を見ていたら、インターンでお世話になった会社の倒産記事が出ていた。

そのときは丁度、ITバブルがはじけた頃だった。その会社は中古ゲーム機の仕入れにまとまった資金が必要で、在庫も抱え、借入れもかなり多かったと思う。

 

ITバブルの崩壊と金融機関の倒産が相次いだことで銀行の貸し剥がしにあったかもしれない。それよりも、広い保管場所が必要な大型ゲーム機をビジネスとして扱うこと自体が非常にリスクが高かったのかもしれない。

 

いずれにせよそのニュースを読んだとき、心の中に何かポカンと穴が開いたような気がした。

お世話になった社長や総務部長、社員の皆さんはどうなさっているのかが一番気になった。社長はエネルギッシュな方なので、きっとどこかでまた事業を起こしていらっしゃるんじゃないだろうか? 総務部長はもともと喫茶店をされていたので、また喫茶店を再開されているのだろうか? 


風の便りで社長は、再び事業を起こされて、再起されたと伺った。

 

事業は人が創るものであり、人によって大きく育ったり、人によって潰れてしまったり、また、人によって芽吹いたりする。

 

だから事業は面白いのかもしれない。人が関わっているから。

 

 

私は事業そのものにも関心はあるが、それ以上に人に関心があり、人が好きなのかもしれない。